提案

 意味不明作成という遊びがあります。あるかどうか確然させるのは難しいですが、私はそれで遊んでいるのであると言います。未だ未完成でいろいろとふわふわした遊びなのですが、説明します。

 完全に意味不明な文章をつくることは可能でしょうか。無意味でなく、意味不明です。絶対に意味はあるのに、しかしまったくわからない。誰にも、その文章をつくった人にすらわからない。明白に存在する意味がどこまでも不明瞭である文章はつくれるでしょうか。

 意味の隠匿、文脈の飛躍は求めるものと少しく異なります。前者は隠語や業界用語、後者は仲良しふたりの思い出話などで見かけることができます。受け手によっては意味不明という点でそれらの不明は部分的なものとなります。すなわち完全な意味不明ではありません。人によっては意味明瞭だからです。同様に、「外国語」も完全な意味不明とはなりえません。意味不明の基が「その人がその言葉を知らない」である場合、完全な意味不明は成立しません。

 文法を破壊するという手法が見えます。「今日はスーパーで洗剤を買った」でいいものを「洗剤が買ったスーパーを今日で」にするようなことは認められません。これは単なる意味の隠匿ないし棄却、あるいは変質です。文法を守りましょう。文法を守ったものとして、いわゆるウナギ文というものがありますが、それらは文脈の誤認による意味不明であることが多いので完全な意味不明とはなりません。文脈がない場合の「僕はうなぎだ」がどうなるかというと、おそらく単にその人はうなぎです。こんにゃくが太らなかったり、家の娘が男だったりするのは文脈に依拠するのでこれも意味不明には加えません。ただ、文脈というものが何なのかについてはよくわかりません。だからうなぎの話が少々上滑りしています。

 新語、造語はどうなるでしょう。若者言葉や新しい製品または概念などの説明に使われるような語はただ新しいというだけで、もちろん意味不明ではありません。白日の下に意味がよく見えます。少なくとも見えている人はいます。また、俗にいう「誤用」も無論意味不明ではありません。「確信犯」の確信犯的用法はとにかく実在して、行われていて、別段意味不明ではありません。
 50音表からくじ引きで選んだひらがなをいくつか並べただけのような造語が無意味に過ぎないことは論を俟たないでしょう。製作者自身が何を意味したいのかわからないながらも、何かを意味しようとしてつくり出した語句はどうでしょうか。このあたりにヒントがありそうで、掴み損ねています。「こっくり」「たぺたぺ」といったある種の定型から外れる擬音語、擬態語の類の処遇は未定です。
 呪文については、「ちちんぷいぷい」のようなものは掛け声と同類かと思います。「えい」「やあ」と同じ、無意味の一種です。「開けごま」は定型句か慣用句またはその両方です。これは「おはようございます」のようにその文章本来の意味から離れて特定の状況により一定の目的のために使用されるものなのでここで求める意味不明ではないです。目的が意味に含まれるかどうかは謎です。また、意味不明作成における呪文の一番の弱点は長いこと受け継がれてきたものであって自分でつくったものではないという点です。意味不明作成と意味不明捜索は遊びの質が異なります。新規に作成された呪文はどうなのかという点については前の段落に書きました。

 ここまで述べてきたものは意味の保全および意味不明の完全性希求のための規則です。つまり、意味不明が無意味に堕することのないようにするための枠であり、全き意味不明への筋の模索です。過不足を恐れずにまとめるならば、およそ下のようになるかと思います。

1.その言葉以外への翻訳の不要
2.文法の順守
3.方針のない新造語句の忌避

 それではこれらを守って意味不明をつくってみましょう。

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 「月が跳ねていますよ。あれは収束の甘味なのです」「なるほど。するとカラスの透過性は南の蓋ですか」

 規則2に違反している可能性がとても高いという問題が含まれています。まだしばらくこの遊びは続きそうです。

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