解語

誰かにあげるわけでもないのにお花なんか買うものですか。お祝いに、お見舞いにお花を持って行く。渡す人がいるから花がある。花束にする。きれいなものがたくさんあるのは良いことだから。あげた色々がどうなるかなんて知らない。それはもうわたしのものでない。人のものにどうこう言うのはお行儀がわるい。でも、あげる。

 どういう人が売ってどんな人が買うのか見てみたい。この間ぷらぷらしていてお花屋さんがあることを知った。ひやかしをするのは下品とわかるから、満たしてくれたらいちばん安いのを求めることにする。さてどうかしら。知らない色と、もちろん緑と、そのすべてのにおいの中にお兄さんがいる。ひとりしかいないみたいだし、名前を聞くつもりもないけれど、呼ばないわけにはいかないので店長と呼ぶ。声には出さない。呼ぶのにいつも声がいるわけではない。店長がひとりで、わたしがひとりで、お客はなくて草花がいっぱい。
「どうしますか」
いらっしゃいませ、と言わない。良いひとかもしれない。
「迷っています」
何に、と聞くでしょうか。
「見るだけ見るといいです」
良いひとだ。
「ひとつだけ花を買いたいです。ひとつがいいです」
いちばん安い花の前で店長にだけ聞こえるように注意して言う。
「それにするのでしょう」
すこしこわくなった。それでも約束したから硬貨を数えた。約束を守る味つけができてうれしい。よく慣れた杜撰な丁寧さで包んでくれるのを見てたのしい。この花が買えたなら今日はご飯が食べられなくてもいい。
「いいですか、これでこの花はあなたのものです。わかりますね?」
ご自宅用ですか、とか、ありがとうございました、とか、そういうことを言うと思っていて、わたしにはこたえがなかったので頷く。

 靴を脱いで、鞄を放り出して、花だけを持って鏡を見た。こういう人が買うのか。

 一晩なにも触らないでおいて、朝になってから瓶の牛乳を買う。花はガラスの瓶にいるものでしょう。牛乳の瓶は記憶よりちいさくなっていて、花をさすと倒れる。それでもその瓶に入れたいから思い切り茎をみじかくする。手紙を開けるのに使う鋏に植物の体液がついて、何度もぬぐう。ひどく不格好になって、たまらなくなる。見るたびにいつ枯れるか、もう枯れるかと思う。

 端のほうから皺がふえて、色もなくなる。もう死んだ花なのに、もういちど死ぬのか。見ていられないから捨てる。罪悪と感謝で、感謝なんて蓮葉な言葉だけれど、とにかく祈りになる。何にどうなのかは言えない。
 一度しめた味は忘れられない。またお花屋さんに行く。店長はわるいひと。

 いつも店長はひとりでいて、わたしも誰かと一緒に行かない。お客がいればいなくなるまで葉っぱの筋を数えたりする。そういうことを繰り返して、つまりわたしの瓶にはいつも花がいて、枯れる。お店に通うのはわるくない。店長はお話もできる。
「月を見ますか」
「あれば見るかもしれない」
「月は天にあって、花は地に咲いて、人が花を飾って月見をします。天文と地理の間に人文がいるわけですが、紀貫之が見た月は何なのでしょう」
「そういうむずかしいことを言われても困るよ」

 こんなことが言いたいわけでない。こういうことばかり言うのはよくない。何も言っていなくて、店長に甘えている。あの人はお花屋さんで、わたしはなんでもない。それでも面白いものを見たりおいしいものを食べたりしたときに、あの人にそれを伝えようとするようになったからもう駄目なんだと思う。いっそもう行かないようにしようか。しかしわざわざこれからは来ませんなんて言うのもおかしい。行ってもいいけど、独立しよう。自立と孤立を取り違えないように慎重に。決めたのならば、やらなくては。だからといって今日買った花が瓶からいなくなるまでにはできないでしょう。いつまでもできないままでもあるでしょう。独立なんて要るのかどうかもあやしくなる。何を決めたのだったかしら。
 きっとまた誰にもあげない花を取りに行きます。

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