私と文章について

私がはじめて自分の文章を作ったのは小学校に通っていた頃でした。その頃は日記という宿題があって、つまり日記を書き始めました。昨日はこういうことをしました。こういうことがありました。たのしかったです。びっくりしました。そういうことを書くようになりました。そのうち出来事とかその感想とかを記録をするのがつまらなくなりました。だからある日、玄関に寝転んで聞こえてくる音をその場で書いて日記として提出しました。居間からぼんやり聞こえてくるテレビの音や、金魚が小石を吸って吐き出す音や、稀に通る車の音を書くだけで済ませました。私はとてもいいものを書いた気分になって、大変に満足したのですが先生からの評価は芳しくなかったです。
随筆というものの存在を知ったのはそれから数年後、中学校で古文の授業が始まったときでした。枕草子です。ただ、その時は古文というものがおもしろくて気持ちよくて随筆がどういうものなのかについては深く感じるようなこともなく珍しい日本語で遊ぶのみでした。
義務教育が終わって、義務でない教育ももう終わりかと晴れ晴れした寂しさにつまされる中でやっと随筆の味がわかりました。ほんとうにわかったかどうか、今でもわかっているのかどうかはわかりませんが、そういう文章が好きなのだということはわかりました。
文学みたいなものについて論じたり語ったりするつもりはありません。随筆とは何か、そうでもない文章とは何かといったことに格段の興味があるわけでもありません。天と地と人があって、文章があります。とにかくあるのはあって、私は好きなのです。ぜんぶ好きかと聞かれたら嫌いなのも私には合わないのもあるので即答はできかねますが、何だってあるのは良いことだろうと思います。
 文章が好きで、考え事をするとなると自分で文章を書きたくもなるでしょう。だから書くようになりました。誰に読んでほしいわけでなく、何を伝えるわけでもない文章を書き始めました。これが随筆かどうかの確証はありませんが漢字の意味合いからするとたぶんそうなのだろうと思います。とりあえずでも名前がつくと安心するのでそうしました。来し方の記憶は薄れゆき行く末の見通しも霞むところから出てくる文章をこうして残すようになりました。

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