粘度

 家の水道が止まらなくなってもうずいぶん経つ。私がそう言うと彼女は「どれくらい」と聞いたので「揖保乃糸くらい」と答えた。彼女はいわゆる近所の人で、今の家に長く住んでいるうちになんとなくお話をするようになった。職業も年齢も知らないし、名前だって曖昧だったがもちろん何の支障もなく、ただ出会った時にごく短い会話をする。彼女の聞いたものが期間なのか程度なのかはっきりしなかったなと考えたのはその日の晩ご飯を食べている時だった。
 家の水道が止まらなくなって、揖保乃糸くらいの細さで出続けている。後輩にそう言うと彼は「いつからですか」と尋ねた。全体、私には時間というものがよくわからないので「けっこう前から」とだけ言った。簡素過ぎると思ったので「ちょっと時間というものがよくわからなくて、いつからと聞かれても答えられない」と足した。きっかりとしたものが好きで、学問に向いている後輩は、それでも先輩に対するそれなりの敬意のために「それは困りますね」と返して曖昧に笑ってくれた。
 なんにもやる気がなくて天気が良かったのでふらふら散歩をしているうちに留学生に声をかけられた。よく見ると知らない人ではなくて、サッカーが好きな人だったことを思い出した。家の水道が止まらない。いつからかは覚えていないが、昨日からではない。うどんよりは細い太さで出続けている。その人にそう伝えると自分の国の水道の実況を教えてくれた。
 図書館でも見るかと考えて入ってみると、めったに見かけない先輩がいたのであいさつをした。「お久しぶりです」と言うと先輩はこちらを見て「どうも」と応じた。先輩は全体的にぼんやりした人で、たくさん喋る人ではない。家の水道が止まりませんと話すと「だって君は自分が生きてゆくのに許可が要ると思っているのだろう」などと口走ったので慄然とした。
 それからバイク屋さんでは蛇口とパッキンというものの説明をしてもらった。煙草屋のおかみさんには「へえ」と言われた。
 とにかく結果として私は水道を静観したし、している。最近少し細くなったような気がする。

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