点線

 布団からはみ出した足に入ってきた冷気で目が覚めた。濡れて透けた薄緑のにおいがする。夜中に雨が降ったらしい。わざわざ首を回さなくても太陽の昇りつつあることがわかる。夏の朝にひとしきりの決意をこめて起き上がった。まっすぐ玄関まで行って、夏が来るからと用意したサンダルを履いた。すっかり準備ができた気がして得意になって外に出る。においの通りの景色があった。周りはすべて気持ちのいい草原で、どちらを向いても八割方みどりいろ、残りの二割はラジオ体操前の空。放し飼いにしている羊を呼んだ。
「おはようございます。朝です。朝ご飯どうですか」
どこにいるかわからないのでこの方面だろうと感じたところに声を通した。いつもそうしていて、常に問題はない。
「おはようございます。食べます」
だいたい思った通りの方向から歩いてきた羊が挨拶をした。挨拶が終わったので形式上の敬意を消して羊に聞いた。
「草が濡れているのは雨が降ったから?それとも朝露?」
「雨を朝露が引き継いだよ」
 羊と並んで朝ご飯にする。向かい合ってではなく、並んで食べる。これもいつもそうしているからそうしている。何を食べるかなんてまったくたいせつではない。羊と並んで朝ご飯を食べられさえすれば良い。
「人間を飼育するのってそんなに面白いのかな、という感想を持ったのだけど、何に持った感想なのか思い出せなくて、感想だけが残ってる。妙な感じがしない?」
「そういうのはたいてい夢だろ」
「きみはほんとうに賢い羊だよ」

 お日様がまだ金色になりきらないうちに散歩する。散歩というほどかちかちしたものではなくて、つまり羊と歩くだけのことで、やはり散歩だからそういうことにする。
「帰るために出かけるというのは良いことだね」
どこに向かって言っても羊しかいないので羊に言ったことになって便利がいい。
「ちゃんと帰るだけのために、と言った方が良いよ。正確に伝える気持ちに欠けているとみなされて厄介の種になりかねない」
「きみはうるさい羊だよ」
「相手がぼくだからそういうやり方をしているのはわかってるけど」
「うるさくてやさしい羊だったね」
 蜘蛛の巣を見て、葉っぱを蹴飛ばして、2回深呼吸してから帰った。

 肺に入れて持って帰った空気を机の上に広げた。つくりかけの置物ができるだけ素敵になるように願う。続きにとりかかる。羊はどこかにいるだろう。別にどこにいてもいい。家の中でも、外でも、地面の上でなくてもいい。いればいい。
 昨日までどこをどう細工したか思い出すのに時間がかかる。どうにかして想起して、昨日の自分が考えたことを想像して、それからやっと始める。しばらく熱中できた。熱が冷めてやったことを見てみると何をしていたかわからなくなった。今日もこれまでだと思った。明日またやろう。ああ、昨日もそう考えたのだったろうか。すると始める前に思い出したことは何だったのだろう。ここまでの一連も昨日やったのではなかったか。これは何個目の置物だったか。……羊に触りたい。

 羊は台所にいた。こちらを見ているはずだけれど、瞳が横長なのでどうやったってしっかりしない。羊の目からの連想でホットドッグが出た。
「ホットドッグ食べる?」
「食べない。羊がそんなもの食べると思ってるのか」
「ふつうの羊はそうだろうね。でもきみは食べられるだろう。なにしろ僕がつくった羊なのだから。僕が食べられると思えばきみはなんだって食べられる」
「そういうさみしいことを言うなよ。だいたいそんな言い方は君がいちばん苦手なんじゃなかったのか。だからぼくがいるんじゃないのか」
「きみはただしい羊だよ。今のは僕がわるかった。わかっていることだのに、ついやってしまう悪事だ」
「単純な悪事かどうかはわからない」
「そうだったね」

 お空の金色に赤みが差す頃になってまた外に出た。羊は横にいる。目当てなく進んで、丘をひとつのぼったところでしゃがんだ。羊の身体が光を返してくる。
「ねえ、毛を刈ってもいいかい」
「いいけど、刈りすぎると困るぞ」
「刈ったものを僕が着るんだから良いじゃないか」
「良くない。ぼくがもこもこでなくなったら君はどうするつもりなんだ」
「しかし手入れしないもこもこはうすぎたなくなる。それも困る」
「じゃあ少しなら刈ってもいい。刈った毛は着るな。刈ってそのままにしておくれ」
「きみはものわかりのいい羊だよ」

 家の前ですることにした。なるべく大きな鋏を持ってきて羊に見せびらかした。
「どうだろう。これなら大丈夫だろう」
「君は羊の毛刈りをしたことがあるのか」
「ないよ」
「そうか。これはぼくの意見なんだけどね、未経験者が繰り出す無知故のめちゃくちゃはお祭りと同じ効果を持つ。ふつうそんなことはしないということをする。それは稚拙に過ぎなくて、へたくその失敗である一方で、新しいという価値を持ち得る。十中八九そんなものはないのだけど」
「取り返しはつかなくてもやり直しはできるよ。きみは僕の羊だから、きみの気に入るまでやり直すよ」
「くれぐれも慎重にやってくれ」
 鋏が鳴るたびに毛が落ちて、落ちたところで音はしないから黙って地面に転がる。そのうち風だかなんだかに吹かれて、または草に紛れて、あるいはその両方を伴ってどこかへ行ってしまった。

 すっかりお天道様がおかくれになって、昼の残り香も夜の筆に飲まれるまでどこにも行かないで羊といた。何もしないでいた。夕方でも晩方でもなくきっぱり夜が来たのでまた羊と外に出た。
「夜だよ。夜になったよ」
「君の羊は夜目がきくからね。今夜だってどこまででも行くよ」
「きみは根に持つ羊だな。昼のことは謝るよ。ごめんね」
「いいよ。今のはぼくがやり過ぎた」

 夜になっても羊と出歩くうえで不都合はない。羊に都合なんてものはそもそもないし、自分の都合がいいから出ているのでそこに支障はない。ふたりが出ていくことで困るひともいない。太陽がなくても真っ暗ではないからただ歩くということに関しても何ら困難はない。なんにもなくて、羊がいて、夜だから歩く。羊は自分で言った通りに夜目がきくのでするする進んで気味がいい。揺れる身体が煌めいて、無理にでも毛を刈って良かったと思った。また丘をひとつこえて座った。草は冷たく、空に雲はなく、ぬるい風がそこかしこを渡った。夜は色が少ないので落ち着いて羊にものが言える。
「見えるというのは光の反射を目が受けることを言うだろう。しかし何も反射していないものだってあって、僕にはそれが見えることがある。見えないものが見えるから見ないようにする。見てしまって泣いたり吐いたりする。それを悪用して見たいように見て対症療法にする。で、言葉が登場する。触れないものに触れないもので触ろうとするのは合理だろう。なるべく変質を避けるためにも。変換、翻訳すると元から離れざるを得ない。その方が良い場合もあろうが」
「鯰は瓢箪で捕まえるべきで、瓢箪に油を塗るともっといい」
「そういうのは要約になるのかな」
「茶化しだよ」
「きみはたのしい羊だよ。沈黙と思考と憔悴のその果てに口を開いたならば何がまろび出るだろうか。げろかな真珠かな」
「ぼくにそれを尋ねているのかい」
「聞いてほしいだけだよ。羊に聞いてほしい」
「言葉の源泉かけ流しをやめろ。思いやりと心やりを間違えるな」
「きみはまったく賢い羊だよ。僕たちしっかりやろうねえ」
「君のからだなんか一ぺんでも灼かれたら終わりだぞ。君は羊じゃないからな」
「わかっているよ。僕がわかっていることをきみがわかっていることも。そろそろ帰ろうか」
 立ち上がって伸びをしたら山が見えたのでつい言った。
「ほととぎすあすはあの山こえて行かう」
「ぼくはほととぎすじゃないよ」
「そういう言葉があるんだよ」
「あるんだね?」
「あるよ。僕が教えなくても知っている人は知っている。これから知る人もいるだろう」
「安心したよ」

 それからまた羊とあまり意味のないことを言い合って帰った。羊が見えるうちは山をこえられないような気がした。そのあとでやっぱり羊と一緒にいきたいと思った。

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