角笛(下)

 もう忠臣蔵の時期だなと思って、その連想から古い歌を唸りながら家に帰っていた。昔の人は特有の声を出す。それは単に録音機械の都合かもしれないが、だから何だというのだ。原因と結果とをいつでもいつまでも繋げれば良いというものでもないだろう。この場合、私は昔の歌と古い人の声が好きで、それで歌っている。あんまり大声を出して私のまずい歌を聞きたくもない人にお届けするのはよくないので音量には注意した。歌詞の記憶が曖昧で、調子も一部おかしいが、これが私の歌であるのでしかたない。

 眠りかけたところで友人から「仕事がだるい」と連絡があった。
「しかしそろそろお休みになるんだろ」
「現状と展望をごっちゃにするな。だるいもんはだるいんだ」
「私だって今だるい」
「お前のは静的だるさで、俺のは動的だるさだ。少しは運動したらどうだ」
「学校で散歩してるよ」
「違う景色を見ろ。いいか、運命が戸を叩く。急に。人の話を聞け」
 それから年末年始の休暇中に飲酒する約束をさせられた。日時まで決められると覚悟していたがそんなことはなく、しんから疲れていることがわかった。極度の疲労からかえって元気になっているときの彼の喋り方は嫌いではない。
 郵便受けに半分埋まっている知らない人からの婚姻届けが入っている夢を見て変な時間に目が覚めた。もう一度眠ろうと考えたが動悸がしてうまくいかなかった。

 軽い気持ちで普段使わない門をくぐったところでわかりやすい灰色が見えて思考が加速した。一息にいろいろなことを考えて、要するに何も考えないでスウェットを目指した。彼女は歩くのが遅い。いま殴れば届くな、と浮かんだところで脳と関係のないところから声が出た。彼女は振り返って停止してから「なんですか」と言った。やっとのことで「見かけたものだから」と答えた。
「そうですか」と言って黙った。
「そうではない。勝手を承知で聞いてほしいことがある」
「なんですか」
「わからない。わからないから、今あるものをそのまま出す」
「いいですよ」
まともにこちらを見たのでいよいよ引けなくなった。考えられないと思った。それで「初詣に行きませんか」とこぼれた。自分で自分がどんな顔をしているかわからない。口から出まかせにしている。出てくるのでしかたない。もう少し何か言おうとしたところで「いいですよ」が来た。そこでようやく呼吸ができた。
「いいのか。驚いた」
「なぜいいのか聞きたいですか。それともまだ他に言うことがありますか」
「言うことがある。ひとつ注文をつけたい。初詣には、ジャージとスウェット以外の服装で来てほしい。来てほしいが、別に注文にこたえてくれなくてもいい」
「わかりました」
 あとは時間と場所を決めて終わった。彼女が見えなくなってから一番近いベンチに座って身震いした。
 行くと言った以上、彼女は必ず初詣に来る。何を着ているかわからないから見つけられないかもしれない。

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