貸借
白いご飯をそのままそれだけで食べるのが好きで、
ご飯のお供というものがよくわかりません。
佃煮の類も、漬物のみなさんも、塩辛のなかまたちも
それぞれに素敵で、もちろん程度の差はありますが、
総体として好物にあたります。
ただ、それらがご飯のお供と呼ばれることに
不思議な抵抗をおぼえるのです。
おかずというものもあります。
いろいろな幸を煮たり焼いたり茹でたり蒸したりして、
場合によっては生のままで供されるおかずたちは
食卓を豊かに、懐かしくさせてくれます。
そしておかずはご飯のお供とは異なるはずです。
おかずには訝しがるべき点は見当たりません。
おかずとお供との境がどこにあるのか
という問いが現れるのは自然なことだと思います。
それはおにぎりの具になるかどうか
というあたりに潜んでいるのではないでしょうか。
ただ、その境界、境域に何の魅力があるのか
という疑問が生まれて、解決されません。
ふりかけはどうでしょう。
鶏のそぼろとか、おかかとかの手製のものではなく
平たいパッケージからぱらぱらさせるふりかけです。
先日そういうふりかけをいただいたので、
ご飯と一緒に口にしました。
たいへんおいしうございました。
どんどん白いご飯がなくなりました。
そして、ふりかけでご飯を食べたのではなくて
ご飯でふりかけを食べていたと気が付いたのです。
それで、自分こそがご飯の最良のお供となってゆこうと決めました。
ご飯のお供というものがよくわかりません。
佃煮の類も、漬物のみなさんも、塩辛のなかまたちも
それぞれに素敵で、もちろん程度の差はありますが、
総体として好物にあたります。
ただ、それらがご飯のお供と呼ばれることに
不思議な抵抗をおぼえるのです。
おかずというものもあります。
いろいろな幸を煮たり焼いたり茹でたり蒸したりして、
場合によっては生のままで供されるおかずたちは
食卓を豊かに、懐かしくさせてくれます。
そしておかずはご飯のお供とは異なるはずです。
おかずには訝しがるべき点は見当たりません。
おかずとお供との境がどこにあるのか
という問いが現れるのは自然なことだと思います。
それはおにぎりの具になるかどうか
というあたりに潜んでいるのではないでしょうか。
ただ、その境界、境域に何の魅力があるのか
という疑問が生まれて、解決されません。
ふりかけはどうでしょう。
鶏のそぼろとか、おかかとかの手製のものではなく
平たいパッケージからぱらぱらさせるふりかけです。
先日そういうふりかけをいただいたので、
ご飯と一緒に口にしました。
たいへんおいしうございました。
どんどん白いご飯がなくなりました。
そして、ふりかけでご飯を食べたのではなくて
ご飯でふりかけを食べていたと気が付いたのです。
それで、自分こそがご飯の最良のお供となってゆこうと決めました。
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