流砂

朝顔というのは七月の花だと思います。
どうしてそういう連想になるのかというと、
やはり小学校というものが大きく影響していると思えるのですが
自分が朝顔を育てていた確かな記憶も証拠もありません。
経験していない体験が朝顔と七月を結んでいるように感じられます。

八月に入ってなにもかもが当然に夏になった頃、
隣に住む人が朝顔の鉢をドアの前に置きました。
それを見て「おや」と思ったのは
朝顔は七月のものと思っているからで、
花も蕾もない緑のくしゃくしゃを朝顔だと断じたのは
小学校での学習の成果でありましょう。
いまさら朝顔なのかと訝しみ、
何色の花が咲くかと勝手ながら慈しむ気持ちになりました。

朝顔はめざましく生長することもなく、
かといって萎れるでもなく、どことなく伸びてゆきました。
毎日そこにあるのでだんだんと私の注意もおろそかになり、
鉢に注がれた水が廊下に漏れていても感想を持ちませんでした。

鉢が土と湿り気の跡を残してどこかへ行ってしまったのがいつだったのか
なくなったことに気がついた時にも
もちろん今になってもわかりません。
急に現れた朝顔であれば不意に消えるのも道理といえば道理です。
朝顔の花は見ませんでした。

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